スペインの名前
Ocho apellidos vascos(バスクの8つの苗字)は、2014年にスペインで大ヒットした映画である。
バスク地方出身の女の子に恋をしたアンダルシア出身の青年が、アンダルシア嫌いの彼女の父のため、バスク人のふりをする話である。
内容はよくあるロマンティックコメディをベースに、スペインの地域性を皮肉ったもので、スペイン国内ではかなり受けた。
そこに登場するバスク人特有の姓 : Gabilondo(ガビロンド)、Urdangarín(ウルダンガリン)、Zubizarreta(スビサレッタ)、 Arguiñano(アルギニャーノ)、 Igartiburu(イガルティブル)、 Erentxun(エレンチュン)、 Otegui(オテギ)、Clemente(クレメンテ)が物語のポイントとなる。
この様にバスク地方だけでなく、カタルーニャ、バレンシア、アンダルシア、カスティージャ、ガリシア、アストゥリアスなどなど、それぞれ独特の言語を持つ地域が多く、そのせいで、苗字を聞いただけで本人、もしくは両親の出身地がわかってしまうことが多い。
例えば、現スペイン国王フェリペ6世のお姉さんのクリスティナ王女の夫で、脱税で禁固刑を受けているイニャキ・ウルダンガリンは、名前だけでバスク出身ってことが明らかである。
日本では、一部の地域にしか存在しない独特の苗字か、沖縄特有のものくらいしか苗字で出身地がわかることはないので、かなり新鮮な驚きだった。
しかも、苗字だけでなく名前もそれぞれの地域独特のものが存在する。
一例を紹介すると、カタルーニャだとOriol(オリオル)、バスク だとUrko(ウルコ)、 Iturbe(イトゥルベ)、 Iñaki(イニャキ)などなど。
個人的にはバスクの名前の響きがかっこいいと思う。ウルダンガリンとかめちゃくちゃ強そう。
それ以外にも同じ名前だけど、カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語、カスティージャ語で表記も発音も違う名前もある。
例えば、スペインで石を投げればカルロスに当たると言われるほど沢山いるカルロスは、カスティーリャ語だとCarlos(カルロス)で、カタルーニャ語だとCarles(カルレス)になる。表記も発音もちょっと違うけど、これは同じ名前。
こういうのはフランス語とイタリア語とスペイン語で同じ名前が別の表記になるのと同じなんだけど、キリスト教の聖人の話をしていて、聖ステパノが、スペインではエステバン、イタリアではステファノ、フランス語ではエティエンヌになるのは、頭でわかっていても、未だに混乱する。
スペインにおけるフランス風オムレツとは
スペインでTortilla(トルティージャ)といえば、日本でしばしばスペイン風オムレツと訳される大量に卵を使った、分厚くてジャガイモやなんかが入ってるアレのことである。
だったら日本でいうところのプレーンオムレツはなんと呼ぶかというと、Tortilla francesa(フランスのトルティージャ)である。
トルティージャはスペイン発で、プレーンオムレツはフランスから伝わったから、そう呼び分けているのかと思いきや、名称の起源として伝わる俗説は、もうちょっと不穏な話であった。
1810年にナポレオン軍がスペインのカディスに侵攻してきた時、町の人がいつもの通りトルティージャを作ろうとしたけれど、芋が不足していたので、仕方なく芋なしで作ったのがきっかけで「フランスが来よった時のトルティージャ」から、「フランス風トルティージャ」と呼ばれるようになったという。
ただし、1804年に出版された英語の料理本の中に「French omelette」のレシピと名称が登場するので、ナポレオン軍の話が実際の起源かどうかは少し疑わしい。
(以下情報ソース)
しかし、人口に膾炙するのはナポレオン軍の方の話なのだ。
19世紀のスペインの俗説は、フランスへのディスで満ちている。
ジョジョの話
日本からジョジョの文庫版を持ってきた。
スペインに来るまでずっと買い続けていたものだったので、日本に残しておくのが忍びなかったのである。
夫にも
「お読み」
と勧めたところ、意外とハマったようである。
日本語があまりわからなくても、漢字と絵でなんとなく内容がわかるようで
特に3部がお気に入りである。
承太郎がいいらしい。
私は個人的に7部が一番好きなので、早く7部に興味を持ってくれないかなあと思っていたが、夫は4部まで読み進めたところで
「なんかややこしくなってきて、読むのしんどいから休憩」
と言って5部以降読むのをやめてしまった。
なんやねん、はよ読めや
と思っていたが、夫は3部のダービー(弟)がボコボコにされる所と、4部の山岸由花子がブチギレるところばかり読みかえしていた。
が、先日突然5部をパラパラめくり出し
よりによってメローネのところを読みはじめ
「このスタンドなんなん?」
と尋ねてきた。
「これは…ベイビィ・フェイスだよ…」
「それはわかる。俺はカタカナ読めるからな。で、何するスタンドなん?」
「女の体から産まれる…学習する…」
結局うまく説明できず、夫は5部を読むのをやめてしまった。
とても悔いの残る結果である。
でもなんでよりによってベイビィ・フェイスなのか。
もっと、こう…グレイトフル・デッドとか聞いて来いよ。
でもズッケェロの船のとことかじゃなくてよかったのか。
今夫は
「なんか徐倫カッコイイから、6部から読もうかな」
と言っている。
6部のアレをスペイン語で説明できる自信は、全くない。
カリモーチョ
日本の友人に
「モヒートに続きカリモーチョが流行ってるねんで」
と教えられた。
驚いて調べると、なんかめちゃくちゃお洒落カクテルみたいなカリモーチョの写真がずらっと出てきた。
カリモーチョはコーラと赤ワインを1:1で混ぜた飲み物である。
スペイン人曰く
「道端にたむろってる金ない学生が、1ユーロくらいの安いワイン買って、味ごまかすためにコーラ混ぜて飲むやつ」
とのこと。
作り方は簡単で、
「コーラの2リットルペットボトルの上を切り取って、そこにワイン流し込んで、みんなで回し飲みする」
とのことらしい。
日本でいうとチューハイみたいな立ち位置だ。
実際かなり飲みやすい。
っていうかコーラ入れるとアルコールは大体みんな飲みやすくなると思う。
カリモーチョの始まりは諸説あるが、一説には、1973年にスペインのバスク地方にあるアルゴルタという村のプエルト・ビエホで行われたフェスで、カリメロとモチョンゴ(もしくはモッチョ)というあだ名を持つ2人の若者が、痛んでいたワインにコーラを混ぜたのがきっかけで、2人の名前をくっつけてkalimotxoとなったという。
カリメロとモチョンゴって…
これは一番巷間に流布している言い伝えである。
故にカリメロとモチョンゴたちが軒先で飲んだくれていたとされる家が、老朽化により取り壊しとなった時に、村の人たちが家を保存して、カリモーチョミュージアムにしてしまった。
また別の説として、お酒を混ぜたのはカリメロで、このカリメロがめっちゃブサイクだったので、バスク語でブサイクという意味の接尾語 ”-motzo”をつけて、カリモーチョにしたという話もある。
その後遥か東の果てで、女子がお洒落カクテルとして楽しむことになったと知れば、ブサイクなカリメロの魂も救われるであろう。
色々ひどいよね。
輪廻転生
ふとしたきっかけで、夫と輪廻転生の話をすることになった。
「あんた来世信じてんのか!」と夫はうるさい。
輪廻転生に対しては、宗教として深い信仰を持っているわけではないが、何となく文化的に、「生まれ変わったら○○になりたい」とか、「あいつの前世は虫だった」とかいう言い回しは普通に存在するくらいには、思想が根付いているのだ、と説明したが、
「だったら俺はキリスト教徒で、1回死んだら死んだままなのに、お前は生まれ変わって別の男と結婚するのか!」と聞く。
「まあそうなるわな。」と答えたところ、
なんてひどいやつだ、とご立腹であった。
知らんし。
しかも後日、「妻に虐げられてかわいそうな自分」を演出するために、夫の両親の前で、嬉々としてこのエピソードを披露した。話を聞いた舅は笑っていたが、姑(修道院に泊まりに行くくらいは敬虔なカトリック)が突然、
「私だって輪廻転生を信じるわよ!」と発言した。
驚いた夫が
「じゃあ母さんは、来世でまた父さんと結婚したいの?」と聞くと、
姑は力強く、
「お父さんじゃない人と結婚するわ!!」と言い放った。
夫がバカなせいで、義理の両親の間にいらぬ波風が立った。
私は悪くない。
好きなスペイン語
理由はひたすらどうでもいいが、心の底から好きなスペイン語の単語が1つある。
“Contundente”
形容詞
1: 説得力のある, 強力な. Prueba 〜 決定的な証拠.
2: 打撃[打撲]を与える. Un arma [instrumento]〜鈍器.
(小学館『西和中辞典【第2版】』)
めっちゃうける。
そもそも抽象概念を表す単語なのに、2つ目の意味がめちゃくちゃ具体的なのもいい。
ある日空港の注意書きに
“No se permite llevar objetos contundentes”(打撃を与えうる物の持ち込みは禁止されています。)
と書いてあるのを見てから、Contundenteに夢中である。
発音もいい。「コン・トゥン・デン・テ」。
一音節ごとにNが入って音が区切れるので、非常にリズミカルである。
日常生活に積極的に取り入れていきたい単語である。
もう一つ、これは単語ではなく1文であるが、非常にポテンシャルが高いのが
“¡Que te den por el culo!” (糞食らえ)
である。
これは、一般によく耳にする(けども、日常使いするととても育ちの悪い)言い回しであるが、この1フレーズの中に、スペイン語の文法の中級レベルの重要ポイントが全て含まれていて、とても興味深い。
1:命令のQue
ここに出てくるQueは命令の意味を持つ。このため、続く動詞darが接続法3人称複数形のdenになる。
2: 間接補語のte
3: 3人称複数形の動詞による無人称文
4: 前置詞por
これは未だに正確な機能がよくわからない。「〜を通って」の意味の経路のporなのか。
5: 直接補語の存在と、文章の省略
言わずもがなの場合や、言い古された諺などの場合、文章の一部を省略する。
上記を踏まえて直訳すると、「誰かがお前のケツに(チンコを)くらわせろ!」という意味になる。
たかが悪態、されど悪態。文法的に分解してみると色々と興味深い。ただ、この解釈が正しいか答え合せをしてくれるスペイン語教師は未だにいない。
すべてこの世はひとつのリング
アメリカのプロレス、WWEが好きだ。
台本のストーリーはバカっぽいし、エフェクトもお金がかかってて派手で、これぞアメリカのエンタメの集大成である。
それに男女の揉め事も、会社の内部分裂も、宗教対立も何でもかんでも最後はプロレスのリングで決着をつけようとするところが非常に良い。
ミニ四駆や中華料理で世界の覇者を目指す、少年漫画のごとき勢いがある。
悪のレスラーにひき逃げされたので、白黒つけるためリングで勝負!とか。日曜朝の子供向け番組で、悪の組織が国家転覆の手始めに近所の幼稚園を襲うような、「なんかもっと他にやりようあるやん。」と言わずにはおられない事態である。
観ているときは勢いに飲まれて納得するのだが、後から冷静に考えれば非常に馬鹿馬鹿しい。
以前、聖ヨセフという聖人について調べたことがある。
キリストの養父で、聖母マリアの夫である。嫁になんもしてないのに、気づいたら子供ができてた可哀想な人だ。
その聖ヨセフであるが、聖母マリアと結婚した時にはかなりの高齢であったと聖書に書かれている。
そのため、聖母マリアと結婚する前に一度結婚していたとか、キリストが生まれた後、聖母マリアとの間に子供ができたとか言う説がある。
聖ヨセフはキリストの養父になれるほど素晴らしい人、つまり良きユダヤ教徒であるのに、ユダヤ教の義務である結婚をせず、ずっと独身だったのはおかしい、というのだ。しかし一方で、聖ヨセフはマリアの夫ポジションで有名になった人なのに、なんか別の女の人とモチャモチャやってたら嫌じゃない?みたいな意見もあった。
またマリアとの間の子供にしても、普通にその時代の夫婦だったら子供作るよね?というある意味真っ当な解釈がなされた結果であるのだが、聖母マリアの処女性をことのほか重要視するカトリックでは、「キリストが生まれた後もマリアとヨセフはなんもせんかった。だってマリアはずっと処女やもん。」という考えが主流となる。
そのために何年もの間、教会の偉い人たちは、聖ヨセフは童貞だったのか、なんでずっと童貞だったのか、童貞でも尊いのか、童貞だから尊いのか、童貞であることはどう解釈すべきか、という議論を延々と行ったのである。
1000年以上前に死んだおっさんの性事情を、その時代の知識の集大成みたいな人達が集まって、ああでもないこうでもないと話し合ったのだ。
誰かちょっとでも我に返らなかったのだろうか。
先日、大学の講義で、現在プラド美術館に展示されている2体の彫刻「アダムとイブ、もしくはパンドラとエピメテウス」がエル・グレコの作とされているが、実際にはそうではないと思う、というような話があった。
その最大の理由として、「エル・グレコは人体のプロポーションに一家言持っており、またそれに非常に気を配った画家であったのに、こんな垂れた尻の彫刻を作るか。」ということだったのだが、3時間の講義の間ずっと我々は、プロジェクターに大写しになった彫刻の尻を眺め、偉い教授はひたすら垂れた尻の話をしたのである。
人生ってのは、側から見ると死ぬほど馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。